2006~
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2005
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2004
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2002
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1999
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1996~1998
22~25
1993~1995
19~21
1987~1992
13~18
1983~1986
10~12
1973~82
~9
年号

「橋本恭明スタジオΘ」へ
  • 休止中コラム「賛否可」を活動目的から一時再開させる。
  • 絵画指導に於いて、その道の人が身につける絵画概念と技術や思考を万人へ分け隔てなく指導を行ってきた経緯から公式ページへ公開掲載をする。
  • 11月1日&18日「橋本恭明スタジオ」サイト概要とコラム概要の正式掲示を行い、この事により印象派に次ぐ芸術の解放運動を正式表明する。
  • 続編公式サイト構想。
  • 橋本恭明の祖父 橋本恵治永眠。

    (個展1回)

  • 世の中の主な出来事・・・列車脱線事故
  • 誰にでも物が描ける様になる為の指導内容を確立し、様々な教室で絵画指導を行う。この年は一年を通して絵画教室に力を入れる。
  • 世の中の変化を感じ、コラム「賛否可」を一時休止。
  • 絵画指導日本一宣言。

    (個展1回,橋本恭明作品集を制作)

  • 世の中の主な出来事・・・新潟地震,インド洋大津波
    • 現在と未来を積極的に考える様になる
    • 日本美術界の現状を書き綴り理解を求めようと試みるが、なかなか理解されず、自らの不甲斐無さを痛切に感じる。
    • 日本の絵画指導の現状を再認識し、過去に自分が経験した出来事と、これまで制作等から思考してきた「観る事、描く事」と「精神面」から、日本一の絵画指導を行う様に切磋琢磨する。
    • 日本文化を研究。

      (海外企画展1回)

    • 世の中の主な出来事・・・イラク戦争
    • 昨年の出来事もあり、様々な意味で活動を可能な限り控える。この期間が、より精神を見つめ、世の中の流れを考察、表現する事へと繋がって行く。
    • 日本の底辺の絵画層を広げる事が美術界を変える原動力にもなると考え絵画教室等で教え、万人に画家の特技、観ると描くという意味を指導する事を決める。

      (海外企画展1回)
    • 公募展,企画展に参加し多数の受賞を得るが、以後の公募展への出品を躊躇する様になる。企画展には意欲的に参加。
    • 海外で初の個展を開催、ハーパー大学へアーティスト訪問する。
    • 海外での活動を機に、日本美術の現状を改善しなければならないと切に思う様になる。
    • シカゴ滞在中に9.11同時多発テロ事件が起き、命という事を深く考える様になり、作風にも変化が訪れる。
    • 不景気の影響で、親しくして頂いていた銀座のギャラリーが閉店。

      (個展2回,企画展.日本3回.海外2回,公募展.受賞3回.入選1回)
      掲載書籍(
      ニューヨーク地方紙,マガジン等)

    • 世の中の主な出来事・・・9.11同時多発テロ事件
    • 公募展に多数参加、こちらでも様々な意味で不信感を抱きはじめる。
    • 個展を開催。企画展には意欲的に参加。
    • フリーハンドの作品を製作する一方で、この頃から画家という枠に表現の窮屈さと後退性を強く感じ始める。その時代における自分の表現すべき事の大切さからコンピューターによる作品も作り始める。この時期の日本には、シンメトリーでストレートなモノ,シンボリックで強烈なモノを公表する事が大切であると感じappleシリーズ等を製作する。
    • この年「画家」の肩書きを捨て、「現代美術家」として生きる事を決意。制作現場を「アトリエ」から「橋本恭明スタジオ」とし、様々な活動,仕事をする様になる。
      公式ホームページ設立。

      (個展1回,企画展1回,4つの公募展で入選)
      某書籍2誌掲載
    • 団体展や企画展に積極的に参加するが、狭い視野と偏見の渦に落胆、芸術であるにもかかわらず極度の上下関係と、経歴とコネでしか作品の評価をしていない世界に憤りを感じる。27歳時にもう一度出品するが、その後団体展には参加せず。
    • 美術界や画家の現状、「ナマの声」を書き綴った論文を出版社へ送るが、理解されず。以後、雑誌,TVメディアの芸術の公表,情報に疑問,意義を唱える事となる

      (2団体へ入選,企画展へ参加1回)
    • 美術学校に通うがそこでのカリキュラムよりも自分の作品制作に没頭し、時間のかけた作品を多数描く。早急に自分の作品に着手しなければならなかった意志,意欲が、この時代の作品に強く反映している。
    • 初の個展,グループ展を開く。
    • 絵画,平面の変貌やスタイルを尊重する日本の指導と芸術面の視野,思考,進歩の遅れ、意識の低さにやらなければならない事を考える様になる。

      (個展2回,グループ展1回)
      掲載記事(Y新聞他)
    • 高校卒業後上京、後3年間研究所に通うが納得の制作はできず、絵という事に思い悩む。この時期、日本の美術界や「画家」という存在、その人間性にも、それまで思っていた意味との違いを感じ、疑問を抱き始める。
    • 膨大な作品を処分した為、残っている作品は少数。


    • 世の中の主な出来事・・・阪神大震災
    • 15,16まで写生大会等に出掛け、水彩で絵を描く。その後、美術部でデッサン等を始め、油彩画に興味をもつ。1年間地元の夜間研究所に通うが残っている作品はほとんど無い。
    • 将来歯科医になり趣味で絵を描く事を薦められるが、ある映像作品に感銘を受け、芸術の道に進む事を決める。
    • 17~18の時(夏)東京渋谷でミレーの展覧会を観て感動し、高価な画集(当時16000円)を初めて購入し、残金75円で東京~広島まで帰る。

      (幻のグループ展1回)
    • 地域の写生大会等に頻繁に出掛け、水彩画から絵に興味を抱きはじめる。絵を描いている時の楽しさを覚える。

      以後6~7年間で特賞2回,金賞5回,銅賞2回,入賞多数
      (現存する賞状の確認のみ)
    • 広島県出身、小さい頃から人並みにクレヨンで遊び、落書きをする。記憶に残っている最初の事は1歳前後の時、近所の家の庭で乳母車に寝かされ、空を見ている所。
    • 4歳時保育所で「ボーンフリー」の絵を描き、自慢げに先生に見せる。雨の日、その時の先生が画集を持って来て、「こんなに凄い絵を描く人がいる」と見せてくれたが、どの巨匠だったか記憶していない。
    • 80年から小学校で水彩を使う。
    • 学校の玄関に飾ってあったミレーの「落ち穂拾い」(印刷複製画)に非常に感動し、休憩時間に度々観に訪れる。中央にあった「大きなスズメ蜂の巣」にも感動する。この他、教科書のゴッホの絵に何とも言えない力強さを感じる。
    • 7歳に初めて描いた水彩画(ジャングルジム)で誉められるが、吹き出し(台詞)を描いた為、その点を先生に非常に叱られ、絵には言葉を描いてはいけないと知る。
    • TVアニメ第1期黄金時代、TVゲームの先駆けから初期までを多感な時期に経験。
    出来事.思考etc
    「漫画ドローイング」は、その1から
    「漫画」シリーズは
    その1その2から、その他研究「観る事の追求」等はその1から御覧になれます。
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    「漫画ドローイング」継続
    「観る事の追求」(アクリル,透明水彩)
    「漫画」シリーズ
    「漫画ドローイング」は、その1その2その3その4から
    「漫画」シリーズは
    その1から、「10~12歳時研究」はその1から御覧になれます。
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    「漫画」シリーズ
    「漫画ドローイング」継続
    「10~12歳時研究」
    「漫画ドローイング」は、その1その2その3その4から
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    「漫画ドローイング」(ペン,インク,水彩,墨)
    「顔シリーズ」継続
    「観る事の追求」は、その1その2その3から
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    「観る事の追求」(パステル)
    「顔シリーズ」継続
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    パステル(左上下)色鉛筆(右)による作品
    「顔シリーズ」や他の水彩作品
    この他の油彩,拡大画像はその1その2等から。
    コンピューター作品は
    その1その2その3その4その5などから。
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    コンピューターによる作品
    無機的な街並みへ下る作品
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    (
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    「そら」へ移行する作品
    板を繋ぎ「そら」を描いた作品
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    次第に「そら」へ移行する作品
    リアリズムを追求した作品
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    (
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    習作時代の作品

    作品は学校や地域団体に残っているかどうか現在は不明。
    作品は
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    (
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      14歳時作品と油彩画

    作品は学校や地域団体に
    残っているかどうか現在は不明。

    不明。

    作品
    • 「漫画ドローイング」と「漫画」シリーズを引き続き制作し、新たな素材を用い「観る事の追求」を行う。
    • 絵画として同じ素材と平面理念を扱う条件内では西洋アカデミズム絵画操作の全脱却は不可能であると確信、その上に立ち日本製絵画的を試みる為にも漫画ドローイングにて、書道毛筆を用い水墨画等や特に浮世絵作家直筆下図を参考に西洋絵画的と日本製絵画的との中和を試み、その先を模索する。
    • 日本製絵画的理念が主たる理由の漫画シリーズに於いてこれまで制作に苦悩試行錯誤していたが、初めてオリジナルと考える日本製絵画的を一つの形にする。この事からこの年、漫画ドローイング(西日絵画的中和への試行錯誤)と漫画シリーズ(オリジナル日本製絵画的追求)の意味を持たせる事となる。
    • 「絵画的と物語性」の関係について苦悩していたが、時間という概念が全てに影響を与えている以上、物語性は消滅する事が無い事実を制作に於いて実体化し、展開させる断片に於いてのみ具体的物語性排除の必要性、事実がある事を検証する。そして年月とともにその事すら物語性、時間的概念に飲み込まれる理念は前説が確定事項であるが故に避けて通る事が出来ないという事も発見する。
    • 日本製絵画の追求から「漫画ドローイング」を継続しつつ「漫画」シリーズをスタートさせる。
    • 「絵画的」と「物語性」は真逆の発展を遂げているものだけに共存させる事への試行錯誤が続き、抽象においてもそれらを一つの画面に閉じ込める事が可能であると知る。
    • どれだけ製作しようとも「時代性」や「展開,発展」を利用し試みようとも、西洋生まれのアカデミズム絵画操作を行っている現実に、これまで試みてきた事柄と書道筆を使う事で日本製を試みようとする。
    • 絵画性への哲学を「展開,発展」させる事で飲み込もうとしていた自分を違った角度から見つめる目的の一つとして、幼少時代の絵を研究する。
    • 「顔シリーズ」を継続しつつ、この国の絵画的という事柄は主に、西洋から生まれた絵画アカデミズムが渡来した物であるという結論に達し、日本における独自の絵画的という概念を模索する為、「漫画」の表現を用い構成、日本文化も研究。その事等から「漫画ドローイング」をスタートさせる事となる。
    • 「漫画ドローイング」においても、コンセプトの精神面は変わらず、漫画という日本十八番文化の性質と民族性からくる精神面を一体化させようと試行錯誤する。
      これらの流れの中から、「漫画」という物が持つ表現形式「コマ(コマ割り)」の有る無しでの、物語性の存在や空間の違い等を実感する。
    • 「顔シリーズ」を継続、多様な人間性精神面を表現する。制作行程から完成まで、これまでの絵画という概念に意義を唱える作品となる。
    • この時期、「観る事,描く事」を再認識する為に、直接手で触れて描くパステルを使い、モノを観て描く事の哲学を追求する。
    • コンピューター(マウスやペン等)による制作から、筆や手によるフリーハンド制作の意味を再認識する。以後コンピューター作品は2DCGから3DCGへ移行するが、「人間,精神」の主題は変わらない。
    • テロ事件以降、主題は「命」,「精神の複雑さ」へと変わる。コンピューター制作も継続したが、よりスピードのある多数制作を得る為、水彩を使い「顔シリーズ」を制作。この「顔シリーズ」の色彩感覚は、幼い日のそれに近い。本来の描くとはどういう事かを問いかける。
    • この時期、パステル,色鉛筆にも触れ、自分のリアリズムを試す。
    • 「人肌,有機的」から「人工的,無機的」な側面を考察する様になり、人の創った色面,街並みを描き、現代人の精神面を表現しようとする。街並みを無機的に表現した時、現実に生きている人間は「無感動、無表情」に見えるが、確実に時代を感じ、順応している事に感動し、自分もその渦の中に生きようと考える様になる。油彩を使った無機的な街並みの作品は、この年で最後となる。
    • この時期、幼少時代のコンピューターとの著しい進歩に驚き、コンピューターで「有機的な人体」,「生命」をテーマに作品を制作。初めて「生命の力強さ」や「エール,讃歌」を作品に盛り込み、今まで暗黙の了解で目を背けて来た事柄を、ストレートな表現で色彩豊かな美へと昇華させる試みを行う。
    • 「そらへ移行する作品」の全盛期、「人肌のリアリズム」が空へ移行し地上に下りた時、「無機的な街」に気付き、無感動,無表情の時代を象徴する作品となって行く、「人肌の大地とそらの比率」から「無機的な街並みとそらの比率」を考える作品へと移行していく。
      この「そらへ移行する作品」は、景色を見る人間の目線を具体化し、精神へ優しく響く「なごみ,いやし」を表現した作品。次第にこの「なごみ」的作品から現実を見つめ、讃歌する作品へと移って行く事になる。
      一方で、板をつなぎ合わせたモノに「そら」を描く等、素材に対しての研究も行う。
    • リアリズム全盛期の作品、スペインのアントニオ・ロぺス・ガルシアに引かれるが、自分にとってのリアルを追求し、人物を描かないが「人物を感じる」、「人肌のリアリズム」を追求。
    • その後、風景を見つめているうちに新鮮に「空の大きさ」を感じ、人間の存在から観た「空と地面」の心象比率を模索する様になる。この「そら」への移行が、後の橋本恭明作品で「人間、精神」を深く考察する1要素となる。
    • この時代で気に入った作品は殆ど無い。油彩画は、絵の具の量が厚い作品が多く、色はオレンジ,イエロー,グリーン系列が多い。表現したい事に飢え、様々に自分を試すが、結果的にそれが「リアリズム」へと導いていく事となる。
    • この時代のこのシステム,道が、この国の美術を繰り返し意味不明なモノにし、「嘘の悪循環」を生んでいると、後に提唱する事となる。この国の「真実が感じられない芸術」はこの道がある事に発端がある。
    • 上段左は橋本恭明が14歳頃に制作した粘土オブジェ南瓜(かぼちゃ)。左は15~16歳頃の木工オブジェ飛行物。
    • 下段左作品「南瓜のある静物」(F15)は、17歳頃初めて油彩画用画材(筆3本,12色絵の具,パレット,筆栓等)を買ってもらい初めて描いた油彩画の一枚。右の工具箱も同時期の作品。
      その他は、川にある足に蔦の伸びた鉄橋に電車が通っている遠近観のある絵と、テーブルに布を敷き、ブロックとワインの瓶、果物等を配置した絵。美術室や自宅で制作。この他数点の作品は現在不明。
      「南瓜のある静物」はその中で唯一時間をかけて自宅で制作し、上京後も手元に持っていた作品。
    • 初めての写生大会で描いた絵は、細かい所まで一生懸命描いた風景画。(川辺の砂浜から川を挟み対岸の土手、その向こうの街を描いた作品)
      その後、タッチを多用した画面になり、時には点描も行い、色はどちらとも暖色の暖かみのある感じ。
    • 比較的早くから色に対する独自の感覚があり、混ぜて色を作ったりその隣に原色をつけたりと自由に描く。
    • 初めて描いた水彩画は、運動場の淡い土色に置いてあるジャングルジムの棒を1本ずつ描き、真っ青な空と白い雲、回りに原色の草が生えていて、ジャングルジムに付属の滑り台から滑りながら何かを喋っている絵。何を喋っていたのかは、吹き出しを消した為に不明。
    • 周囲に名画等の写真,本や複製画があり、偶然にも名画を見る。
    作品概要等

    EXIT